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整備されたグラントハイツ

光が丘(グラントハイツ)

昭和18年に成増航空基地が作られ、戦後米軍に接収され、米軍住宅地として整備され第18代大統領にちなんでグラントハイツと名付けられました。

正式名は"U.S.AIR FORCE 6115TH AIR BASE SQUAUDRON GRANT HIGHTS FAMILY HOUSING ANNEX"

太平洋戦争中は旧日本陸軍帝都防空迎撃隊という戦闘飛行隊があり「飛燕」「紫電改」「疾風」「月光」等の戦闘機が待機していて、当時の久我山(杉並区)にあった対B-29への高射砲陣地と連携していたそうです。また、グラントハイツが1973年に日本に返還されて光が丘が出来るまでの跡地には飛行場時代のコンクリート製の戦闘機待避壕が何ケ所か残ってたそうです。

終戦後は米陸軍第8軍第1騎兵師団が朝霞に進駐してきてCAMP TOKYO→CAMP DRAKEという名前で展開して、グラントハイツは、そこに勤める軍人及び家族、軍属関係者のハウス(将校クラスがメインの高級住宅地区)だったそうです。

1964年頃からグラントハイツは米空軍の管轄下になり、今の和光市にある南大和団地と西大和団地にあった桃手ビレッジ
(6112ABS MOMOTE FAMILY HOUSING ANNEX/下士官クラス住宅地区)も当時の基地の街を象徴する「古き良き時代の?!日本の中のアメリカ」だったようです。東武東上線上板橋駅からグラントハイツに専用の電車も引かれていました。